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知事定例記者会見

知事退任記者会見録

令和3年9月10日
於:プレゼンテーションルーム

会見内容等

(知事)正式な退職日は9月12日でありますけれども、平日に登庁するのが本日最後となりますので、退任会見を行わさせていただきます。まずは、平成23年4月に三重県知事に就任をさせていただいて、約10年5カ月、全身全霊、職務に当たってまいりました。誰よりも三重県のことを考え、汗をかき、走り回った、そんな自負もあります。しかし、私がそういうような形で職務に当たることができたのも、就任当時36歳の政治経験も人生経験もない私を、また、三重県の生まれ育ちでもない私を信じ、そして共に歩んでいただいた県民の皆さんのおかげであります。改めまして、県民の皆さんにこの場をお借りして心から深く感謝申し上げます。本当にありがとうございます。また、県政記者クラブ、第二県政記者クラブの皆さんにおかれましても、すべての方が最初からいらっしゃったわけではありませんけれども、大変お世話になりまして鈴木県政の様々な情報発信について、是々非々ではもちろんありますけれども、ご協力をいただきましたことに心から感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。振り返りますと、直近の国体中止の決断、苦渋の決断をはじめ、10年間勤めた知事の仕事は決断の日々でありました。そして、その決断したことをたくさんの方の力を借りて実行する。決断、実行、決断、実行、そういう毎日でありました。さらに、東日本大震災から1カ月後、また県内経済はリーマンショックの傷が癒えない状況、そういう中で知事に就任し、退任のときはコロナの中。その間、紀伊半島大水害、堀栄丸の海難衝突事故、豚熱、様々な不適正事案など、緊張感の高い危機管理が切れ目なく連続する10年でもあったと思います。そのような中でも、私はリーダーというものは、常々明るくなければならない、そう思っていますのでどんな厳しい状況でもなるべく明るさを失わず明日に希望を持つように率先して努力をする、そういう姿勢で10年間職務に当たってまいりました。しかし、先ほど職員に申し上げたんですが、仕事は一人では出来ません、仲間が必要です。仲間に私はとても恵まれたと思っています。それは、県庁職員だけじゃなくて、様々な事業をするに当たっては、県民の様々な皆さんのご協力が必要でありましたので、そういう皆さんも含めて、一緒に仕事をしていく仲間に大変恵まれた、そんな10年だったと思います。今の心境を申し上げますと、先週の最後の定例会見でも少し申し上げましたけれども、ここに至ってもまだ実感が湧かないというのが正直なところです。月曜日になって、公舎を出て、また8時半に県庁に来ない、そういうような生活が始まったら、何となく実感が湧いてくるのかもしれません。最後のこの瞬間になっても、実感が湧かないぐらい自分の人生、また心と体、それらの隅々にまで染み込むぐらい三重県知事という仕事に打ち込ませていただいた。知事に就任してしばらくした時、妻から水を得た魚のようやねという言葉も言ってもらいました。とてもとても、大きな重圧の日々で、間違いなく大変ではありましたけれども、多くの方々に支えていただき、たくさんの喜びや幸せも感じさせていただきました。県民の皆様の笑顔もたくさん見させていただきました。今までの人生の中で、間違いなく最も充実し、最も幸せな10年だったと思います。そういう機会をいただけたすべての皆さんに、改めて心から深く感謝を申し上げます。何度も何度も繰り返しますけれども、今は感謝しかありません。それに尽きます。今後は、さらに精進と成長を重ね、この10年間で県民の皆さんに育てていただいたことに対する恩返しを全身全霊かけて行っていきたいと思います。改めて感謝を申し上げます。後程、様々なご質問もあろうかと思いますので、冒頭発言は以上にしたいと思いますが、衆議院議員選挙に関することは、来週16日を目途に記者会見をさせていだきますので、今日は知事の10年間に関することでの会見というふうにさせていただければと思います。私から以上です。
 
会見内容に関する質疑
 
(質)ありがとうございます。では幹事社から最初に何点か質問させていただきます。10年間の知事の仕事は決断の日々だったということもありましたが、その中でも特に印象的だったことなどがあれば教えてください。
(答)一つ挙げるのは非常に難しい、日々様々なシーンが印象に残ってるわけですけども、あえて例示をするとすれば、G7伊勢志摩サミット、それから紀伊半島大水害、そしてこの国体、三重とこわか国体・三重とこわか大会の中止を含めたコロナの対応、このあたりが非常に印象に残っています。いずれも、局面は全く違いますけれども、リーダーとしての決断とか実行とか、そういう点で極みにあるそういうものだったんじゃないかなというふうに思います。それから、そういう大きい決断のこともありますけども、情報発信とか、そういう危機管理的なところが結構よく取り上げられること多いんですけども、自分も特に印象に残っていることをもう少し例示を挙げれば、現場とか当事者の方の思いで、県庁とかでは必ずしもそれに応えようという状況でなかったものを、決断をさせていただいて実施をした。例えば、犯罪被害者の支援条例、一人の方の被害者のお父様からのお手紙で条例を作ることを決断し、そのときは現行法令で出来るよ、県庁の皆は言ってましたけれども、そのお手紙を見て条例を作ろう。おかげで現在19の市町で条例があります。土砂条例とかもそうだったと思います。性の多様性、それから男性の不妊治療、そういうような現場や当事者の方の思い、数は少ないかもしれないけれども、そういう人たちの思いを決断して決める、実行する、そういうことも印象に残っています。あえて例示すればと言ってさっき言ってたにもかかわらずもう少し申し上げますと、木曽岬干拓地の半世紀にわたり塩漬けになっていた土地を最初メガソーラーですけれども、今や企業の立地ひっきりなしに引き合いがある、そういう状況に草しか生えていない土地に活路を見いだす、その決断や実行が出来たということも印象に残っております。挙げれば、きりありませんけれども、あとはトータル的には県民皆さんの幸福度を高めるということでやってきましたから、それが直近は過去2番目に高い形になりましたし、1回目から比べると高くなってるということで、その一貫して掲げてた皆さんの幸福実感ということが上がってきたということは、それは特に直近はコロナの大変厳しい令和2年度でしたから、それは県民の皆さんのそういう気持ちがあることは嬉しく思います。
 
(質)任期途中での辞職となりますが、何かやり残したことであったりだとか、この10年振り返っての反省点みたいなものがあれば。
(答)やり残したことって言うと、事業とか分野とか挙げれば、さっきの印象に残ってることと含めてたくさんあるんですけども、特に残念に思っていることは、一つは国体で天皇杯・皇后杯を取る、そういう状況になれなかったこと、それから感染者数は減少傾向にあるけれども、コロナが完全に落ち着いて、三重県がまさにコロナの前の観光消費額とか、観光入り込み客数とかがすごい伸びてた、そういうような状況が戻るというのを知事として迎えることができなかったこと、その辺りについては残念に思っています。それ以外にも挙げればきりがありませんけれども、デジタルのところとか、あるいは人口減少、これについては全国的な傾向なので一気に変えるのは難しいことだけれども、この東京一極集中を是正して地方創生をしていく、若者の定着をしていくということは、三重県のこれからにとって大変重要なことなので、そこが道半ばであるということについても少し残念に思っています。
 
(質)幹事社から最後になりますが、冒頭の発言にあった衆院選のことで、その詳しい内容は来週でってことですけれども、任期途中での辞職っていうことに関しては様々な意見があると思います、批判的な声もあると思います。そこに対して改めてどう応えていくと今お考えでしょうか。
(答)先ほどありましたように県民の皆様の中には様々なご意見があるということは十分承知をしております。それについてはしっかりと受けとめております。今後、新たなステージに立たせていただくことができれば、しっかり仕事で結果で恩返しをして、三重県の発展につなげていくことで鈴木英敬さんのあの時の判断は間違っていなかったね、そういうふうにおっしゃっていただけるように精進していきたいというふうに思っています。任期途中ということについて今申し上げた通りでありますが、とにかく重く受けとめて、そして次に向かって、これを今ひっくり返すということではできませんから、とにかく、この後の私を見ていただいて、この後の私の仕事の結果を見ていただいて、県民の皆さんにご理解いただけるようなそんな日々を送っていきたいと思います。
 
(質)幹事社から以上です。第二さんも含めてお願いします。
 
(質)先ほどの職員向けのあいさつのところで、原監督の言葉を引用して、夢の続きがあるというふうにおっしゃっていたかと思います。鈴木知事が辞職を迎えたあとの夢の続きとは何なのでしょか。
(答)先ほど退任会見で申し上げたのは、私この10年間、三重県を発展させたい、三重県民の皆さんに幸せを実感してほしい、そして三重県がもっともっと元気になってほしい、そういう夢と目標を持って頑張ってきましたので、それをさらに段階を上げる、三重県をさらに発展させる、三重県をさらに元気にする、三重県民の皆さんにさらに幸せになってもらうと、そういう夢の続きと、それを使う道具は変わるかもしれないけれども、その夢には続きあるんだというそんな思いです。なので、何かこれまでの夢との続きの関係を申し上げたところです。
 
(質)国政に転出をされるということで、推薦の結果次第によるかもしれないですけども、例えば、その国政にいった時に総理大臣を目指されるとかそういう夢はお持ちでしょうか。
(答)衆議院選挙、選挙に臨むことはまた選挙後のことは次のまた会見のときに申し上げたいと思います。今日私が申し上げた夢の続きというのは、三重県を発展させると、三重県民の皆さん幸せになってもらうと、そういうことであります。それは、その原監督の言葉は、私の夢には続きがある、このことを約束してっていうふうに言っていたと思いますので、その三重県がさらに発展すること、三重県の皆さんがさらに幸せになってもらうということを約束してと、そんな意味で使わせていただきました。
 
(質)1年半ぐらいコロナ対策がメインだったと思うんですけども、知事の仕事として、ご自身の三重県のコロナ対策のこの1年半ぐらいの評価じゃないですけど、それをお聞かせいただければと。
(答)評価は私がすることではないので、県民の皆さんとか、あるいは関係の皆さんにしていただいたらいいのではないかと思いますけれども、最後、緊急事態宣言とかがありましたが、私は県民の皆さん、事業者の皆さんが、そして現場の最前線で頑張っていただく医療従事者の皆さんが、本当に一生懸命頑張っていただいたと思います。誰がいつかかるかわからない感染症でありますので、その数の多寡とか、そういうのというよりは懸命に命を守るために皆が頑張ったということは、それは三重県のみならず全国かもしれませんけれども、三重県がオール三重でそういうみんなで命を守るんだと頑張ったことは、私ということではなくて、皆さんの頑張りは評価されることではないかなというふうに私は思います。あとは、その一定の取り組みにおいては、特にかつてない感染となったこの第5波においては、緊急事態宣言や国体の中止、あるいは感染症法に基づく病床確保の協力要請など、あとは臨時応急施設を作ったり、新たな宿泊施設を確保したり、やれることはとにかく総力戦でやってきた、それはいずれも、いずれの波でもそうだったと思いますから、それは私じゃない他の方がご評価いただくのが適切ではないかと思います。
 
(質)明後日、後任の決める知事選がありますが、その後任の方にメッセージなどありましたら?
(答)選挙ですから、県民の皆さんに、まずはこういうコロナの状況ですけれども、期日前投票なども活用しながら、ぜひ投票の機会を確保していただいて、権利を行使していただきたいと思います。その上で、基本的にはそのなられた知事さんの思う政策、あるいは志、そういうのをしっかり実現するために全力をあげていっていただけたらいいなというふうに思いますけども、前も少し申し上げたことあるかもしれませんが、県民を信じて、そして三重県を好きであってほしいと思います。やはり、我々も県民の皆さんからの信頼がなければ仕事ができないように、私たちも県民の皆さんを信頼しなければ仕事ができないので、そういう県民の皆さんとの信頼関係をしっかり構築をしてほしいと思います。それから、恐らく近く三重とこわか国体、国体と大会の延期の可否を、という大きな判断をされなければならない。また、リニアの関係などもあるかもしれない。そういうような形の中で、また緊急事態宣言が月末までですから、それをどうするかっていうこともあると思います。就任されてすぐに、いろんな大きな判断とかがあると思いますけれども、職員を信じて、職員はしっかり頑張れるメンバーばかりですから、私仲間を、仲間に恵まれたと言いましたので、そういう形でやっていただけるといいんじゃないか。なので、県民を信じて、職員を信じて頑張ってほしいと思います。
 
(質)実感がないとおっしゃってましたけど、知事という職に未練とかそういうものはありますか。
(答)未練、未練というのはというか、あんまり人生において未練という感情を感じたことがないので、未練という感情はたぶん今はないと思います。未練というのはないと思いますけど、さっき最初に記者さんが聞いてもらったような、出来なかった政策のこととか、残念だなと思うことはありますけれども、未練とかっていうことはないと思います。
 
(質)さっきお話にも出たんですけれども、これまで性の多様性ですとか、パートナーシップ制度とか三重県で率先してやってきた部分があると思うんですけども、その条例に関しての思いと、今後改めて期待について聞かせていただけませんか。
(答)本当に性の多様性条例については、当事者の皆さんに寄り添って、多様性が認められていくそういう地域社会を作りたいという思いで、条例を制定をさせていただきました。また心無い差別、そういうものも止めていく社会にしていきたい、そんな思いで条例を制定をさせていただいて、このあなたが言ってもらったこの思いということでいけば、まだスタートを切ったばかりということだと思います。そして9月からパートナーシップ制度が出て、私最初の1組だけじゃなくて、その日に予約いただいた5組全員に交付書を、私全部渡させていただきました。一人ひとり渡させていただきました。皆さん大変喜んでおられました。なので、そういうこう喜んでもらえるような、三重県に暮らせてよかったなって思ってもらえる人が増える、そんな制度として、これからもまだサービスもたくさん増えて、増やしていけますので、進化していってほしいなと思います。
 
(質)三重県がこれでいい事例になって、こういう条例がもっと全国に広がっていったらいいなという思いはありますか。
(答)条例ということの形にとらわれず、とにかくその当事者の皆さんたちが安心して暮らせる環境を、制度的にも仕組み的にもいろいろ考えていただいたらいいんじゃないかなと思います。それを条例にするかどうかってのは、各地域の判断だと思いますけども、あなたが言ってもらったような、そういう性の多様性が認められるような取り組みが全国とかにいろいろ広がっていくことはぜひ期待したいですね
 
(質)これそのまあ、一応本籍菰野町に置かれてましたけど、三重県出身でない、そこで育っておられない知事としてですね、その辺のご苦労というか、当初なられた時、何かそういうのありましたか。
(答)三重県知事になってからというよりは一番最初衆議院議員選挙に旧三重2区から出た時のほうが三重県生まれ育ちでないことの大変さは感じましたけども、その後鈴鹿の白子のアパートに住み続けて、1回目の知事選挙の時は、英敬さんと美保さんは鈴鹿の子やから応援したらなあかんよねって鈴鹿の人に言ってもらった時に、これは本当に嬉しかったなという思いですし、なので、苦労っていうのはなかったですけども、大変三重県が広くて、地理的な感覚とか各地域の特性というものを把握していくことにやっぱり最初苦労しましたし、職員のみんなの力を借りる、大いに借りた、まあそんな感じだと思いますよ。何かまあ、そんな感じかな。特にまあ知事になってからもそうですけど知事選に出ると表明してから知事なるまでの2カ月間のその活動において生まれ育ちでないことの苦労なんかは特にありましたけどね。
 
(質)ただこれ例えば兵庫県西宮でお生まれになって、そこで育たれたんで、兵庫県知事やってれば、それに出られたりしたらですね、小中高の同窓生とか仲間がいるじゃないですか。そこでは孤立無援の中で知事になられてるじゃないですか。あえてになるかもしれないけど知事は知事になられても、割と大阪弁というか関西弁を使われたじゃないですか。
(答)言語能力が低いんじゃないすか。
 
(質)そういうことなんですか。
(答)いやでも確かにそれは、何ていうか、人間関係の地図みたいなんが分からなかったりする時に、最初の頃とかは、苦労したところもあったかもしれませんね。しゃべりは何ていうかこう多分僕が柔軟性が低いから、そういうこう言語能力が低いんだと思うんですけど、あなたおっしゃっていただいたようなことでいけば、やっぱり同窓生とか親戚とかもいませんので、何ていうかな、人間関係の地図みたいなのが最初分からないことがあって苦労したこともありましたね。
 
(質)あとその知事だからその感じられた今のこの国のあり方とか、その国と地方の仕組みであるとか、そこでそれについてはこういうふうに持ってったほうがもっと良いとか、来週の会見にも絡むんですけど、その辺何かお感じになってることありますか。
(答)来週の会見では衆議院議員選挙を経てどういうことやりたいかっていうことの観点で申し上げますけども、今日三重県知事として、今あなたから言っていただいたことで感じることとすれば、やっぱり現場とか地方とかっていうことの実態がしっかりと組み込まれた国の制度っていうのは少ないなと思います。例えば10万円の給付、例えばワクチンの接種、持続化給付金、様々、例えばコロナだけ見てもそうですよね。現場にもっと言ってくれたらこうしたのにとか。それもしかしたら県の政策でもあるかもしれません。そういうところが、県から国を見た場合においては、少ないなという思いがあったのと、あとやっぱり、さっきの最初記者さんの質問に答えたのと同じですけども、やっぱりこのこれだけ魅力ある地域、例えば僕今2人の子どもを育てて、東京で子育てなんかちょっと考えられないんですよねっていう、けど東京一極集中が止まらない。東京都がこのコロナで転出超過の時が結構あったけど、15歳から29歳は首都圏への転入超過のまんま。こういう構造的な課題が解決していかれないと地方でいろんな政策打っても、構造的にこう疲弊していってしまう可能性があるなというのは感じましたけどね。でも、住んでみて子育てしてみてやっぱり実感したってのもありますからね。
 
(質)平成13年度に地方分権一括法が制定されて、その時は地方の時代が来たとか沸き上がったじゃないですか。ところがまあ20年近く経って、制度疲労というかそれからのこの第2ステージがないんで、その辺のことも知事はお感じになってるんですか。
(答)いやそれはおっしゃる通りですよ。つまり地方分権一括法から分権だと言って分権を進めてきたけども、で、結局でも財源も人間も一緒でなかった。つまり権限は来るが金と人がいない。じゃあその権限来ても執行できない。そういうような状況の中でやっぱ最初の分権の最初のころは、まず権限しっかり。で、一方で行革の嵐の中で行政の職員は減らせ、そういうような状況がありましたから、平成20年代ぐらいには、やっぱり分権の限界、分権だけ、分権一本足打法の限界というのはあったと思います。だからこの直近、政権再交代以降、平成24年以降、とりわけ、まあこの地方が使い勝手のいい交付金とか、そういう財源的なところに話が行くのは、あとは児童相談所とか地方整備局の人員とか、そういうところに話が行くのは、やっぱり分権はしたけども、人間と財源が足りないね。課題は多様化してるのに、やることいっぱいあるのにっていう感じじゃないでしょうかね。
それは知事をやりながらそう感じたと思いますし、もしかしたら市町村の皆さんのほうが、県内、三重県でいう市町の皆さんのほうがより強く感じておられるかもしれません。
 
(質)それは今回のコロナ対応等でもやっぱり露出してきた感じですか。
(答)とりわけそういう、顕在化してきたと思いますよ。例えばまあ何ていうか、前にも会見で言ったことあるかもしれませんが、まん延防止等重点措置やりたいけども、まん延を防止するために措置やるのに、まん延してからしかその措置をやれない。国に言って、国会で審議してもらわないとまん延防止等重点措置をやれない。あれああいうこう地方がもっと柔軟に言ったらやれる緊急事態宣言じゃない措置を作ってほしいって全国知事会で言って作った措置なんですけども、結果、運用はそうなってないようなこととかもありましたし、あとは何ていうか、そうですね、特に基礎自治体業務とかで見ても、分権を逆に戻すというか、市町でやってるやつを県でやるとか、県でやってるやつを国がやるっていうようなことなんかも、もう少しダイナミックに考えてもいいんじゃないかなと。まああのあなたの好きな話題でいけば保健所政令市、これについては、やっぱり良い面と課題とありますよね。それはやっぱり分権だけが良いんじゃなくて、こういう感染症対策を強靱化していくという観点からの地方における分権のあり方、これはしっかり考えないといけないと思いますね。
 
(質)2つお聞きしたいのですけれども、まだ40代ということで、非常に若い、それから、目指しておられる国政というところからの三重県へのアプローチもあるわけですけれども、その先も含めて、なんて言うんでしょうか、どういうふうに三重県に関わっていきたいなというふうに思っておられるのかということをまずお聞きしたいのと、それから、これもありきたりの、こういう場に出てくる質問かもしれませんが、今日の気持ちを、言葉なり、あるいは色なりで。
(答)色。
(質)はい、表していただくと、どういうものでしょうか。
(答)難しいな。1点目の、これからどういうふうに三重県に関わっていくかってことですけれども、これはもう、可能性を引き出し、課題を解決すると。僕は、議会とかでも、中曽根元総理の言葉を使って、現実主義的理想主義という話をしました。つまり、現実にある可能性を引き出して、よいところを伸ばす。で、現実にある課題を解決する。で、悪いことを乗り切っていく。その2つで。現実的に物事を動かしていって、それが政策なのか、予算なのか、制度なのか、法律なのかわかりませんけれども、そういう形で、三重県に関わっていきたいと思うのと、あとは、なんて言うか、ありがたいことに、この三重県職員のメンバーとか、あるいは、三重県のいろんな事業者や団体の皆さんともネットワークを作らせていただいたので、その皆さんが、困っているようなこととかをご相談いただいたり、あるいは、僕が、こんな課題があるから三重県でもっとみんなでやってみたらどうかっていうようなことを提案したり、双方向な形で、そういうネットワークを生かして、物事を具現化していくことで、三重県に関わっていきたいなと思います。本当に、僕が知事に就任してから、例えば、安井部長は当時、補佐クラスだったんですけれども、もう今や立派な筆頭部長やっていますけれども。あと、僕は政策創造員というという制度を作って、そのメンバーから、寄せ書きももらったりしましたけれども、そういう幅広い世代の人材ともネットワークを、県庁職員のメンバーとか、事業者、団体の皆さんとさせていただいたので、そういうネットワークと双方向で、いろんな課題解決に繋がっていきたいと思います。2点目のやつ、それむずいなあ。色な。色な。難しいなあ。なんかこう。難しいなあ。色か何でしたっけ。言葉。
(質)言葉。
(答)言葉、言葉やとでももう、さっきも言いましたように感謝しかないですよね。ちょっとありきたりで申し訳ないんですけど。もう本当にそうですね、ここにいらっしゃる方だとあなたとあなたぐらいかな、僕が最初から知ってるのって。36歳でこの場に立った時の自分と今の自分と。少なからず成長してると見ていただけるなら、それはもう本当に皆さんに育てていただいたので、感謝しかないですね。もうとにかく、何か言葉を言えと言われたら感謝しかないですね。
 
(質)10年5カ月、ご苦労さまでした。まず1点目の質問なんですけれども、大分古い話にはなるんですけれども、2011年の2月の知事選で出馬表明された際に、「なんとかしてよ」から「なんとかするぞ」に変えていきたいという理念をおっしゃられていたと思います。
(答)よう覚えてんな。
(質)いろいろ調べたんですけれども。その基本理念っていうのは、この10年で実現されたという思いはありますでしょうか。
(答)さっき、職員の挨拶のところでも、僕は、選挙で「変えるのか」、「変えないのか」っていうのを大分やりましたんで。それで変化を期待されてっていうことで言いました中で、一定の、すべての分野ではないけれども、一定の変化を感じていただけたんではないかというふうに申し上げましたけれども、そういう意味では、今言ってもらった「なんとかしてよ」から「なんとかするぞ」ということについては、すべての分野ではないけれども、そういう動きも出てきたんじゃないかと思います。例えば、G7伊勢志摩サミットから、一番わかりやすい例でいけば、日本酒の皆さんです。県内の酒蔵の国内出荷額が、ずっと平成27年比で伸びている。これは、「なんとかしてよ」じゃなくて、「なんとかするぞ」と自分たちが努力をして、いろんなコンクールにも出し、そしてレベルを上げて、販路を開拓し、ということをやってくれた。あと、サミットのことでいけば、高校生が、ちょっとコロナで止まっていますけれども、海外留学とか、海外短期研修に行く数がものすごい増えたんですよね。それも、自分たちがグローバル社会で生きていくために、「なんとかしてよ」じゃなくて、「なんとかするぞ」というふうになってきた。あとは、事業承継の関係で、帝国データバンクのデータで、平成29年は、三重県の後継者不在率、後継者がいませんっていう割合が、全国で35番目、だから13番目に多い、13番目に多い。後継者がいないっていうのが平成29年だったんですけど、令和2年は後継者がいないっていう割合が全国で2番目に少なくなったんですね。つまり、後継者がいないから「なんとかしてよ」じゃなくて、後継者がいないなら「なんとかするぞ」。一生懸命、中小企業の皆さん頑張ってくれた。そういうようなことで、すべての分野ではないですけれども、そういう端緒が見えてくるようなことがあった10年だったんではないかなと思います。
 
(質)その関連で、一方で、新型コロナ対策等も含めて、「なんとかしてよ」という県民の声は、まだまだあるかと思います。そんな中で、いわゆる知事職になるかと思うんですけれども、知事の好きな本の中に、「職業としての政治」というのがあったかと思うんですが、その中で政治家の必要な素質の一つとして、責任感っていうのがあったかと思います。今回の任期途中の辞職と、責任感っていうのは、両立ができたのかっていう部分は、そこはどのように感じていますでしょうか。
(答)任期というのは、その間最大限やれるっていうのが任期だと思います。それは、地方自治法にもそう書いてあると思います。解説にもそう書いてあると思いますので、4年間頑張るぞと言って選挙に臨んで、それが途中で辞するということになったことについては、選挙で4年間頑張らせていただきたいということについて、それが途中であったということは、これは、それを守ることができなかったので、それは大変申し訳なく思います。一方で、どうですか、皆さんがどう考えていただくかわかりませんけれども、8月5日に、退職届を、退職の申し出を議長に出させていただいて、今日、9月10日になりますけれども、先ほども少し言いましたが、その間、国体の中止、それから緊急事態宣言の要請、感染症法に基づく病床確保の協力要請、臨時応急施設の設置など、その責任から逃げることなく、しっかり立ち向かわせていただいた。それを、この間のやっていることに対して、無責任というそしりを受けるようなことは、私はしてないというふうに思います。ですので、今申し上げた選挙の時に、4年間、3期目に出る時に4年間頑張りたいと言ったことについて守れなかったことは、本当に申し訳なく思います。一方で、知事として、やるべき仕事の責任ということについては、そういう無責任というそしりを受けるようなことは一切ないというふうに思います。
 
(質)最後に、この10年間は長く感じられましたか、あと、短く感じられたか、その部分を教えてください。
(答)めちゃくちゃものすごい重圧で、めちゃくちゃ大変でしたけれども、さっきも言いましたように、たくさんの喜びや幸せも感じさせていただきましたので、あっという間というのが、正直な気持ちです。中身はめちゃめちゃ濃い、あっという間だったんじゃないかなと思います。
(質)ありがとうございます。
 
(質)次期の衆院選の話はともかくとして、これから鈴木英敬知事から、鈴木英敬さんになるわけですけど、何か、どうやって生活していくとか。あとは、知事の時はできなかったけど、知事じゃなかったらちょっとこんなことを実はしたいと思っとったとか。そういう状況、何か考えているところはあるんですか。
(答)そうかあ。まだ、あんまりそういうなんちゅうか、思い描いたことがなかったんで。昨日も、緊急事態宣言の延長とかやってましたんで、あんまり思い描いたことがなかったですけども、今、あなたから質問を受けたことで考えてみれば、そうですね、拘束時間みたいなのが、どっちが長いかちょっとわかりませんけれども、少なくとも、辞めて当面は、多少自由な時間があるとするならば、今後のことも考えて、少し子どもとかと過ごす時間が、増やすことができればなと思います。子どもたちも、いろんな習い事に行くようになったりして、例えば長男だったらテニスであったり、英語やったりしているので、そういうのを一緒に過ごす時間とかを増やすことができればと思いますけれども、次のまた機会の時に申し上げますけど、また新たな戦いに臨みに行きますから、そう悠長なことも言っていられないし、ここまで、知事を全力でやっていましたんで、次の準備というのはほとんどできていませんので、そう意味でも、次の戦い臨む準備をするという前提で、時間を見つけながら、子どもと過ごす時間とかを増やしたいなあと思ったりとかかなあ。あとは、コロナがどれぐらい収束するかですけれども、収束していればという前提で、僕は旅行が好きですけど旅行があんまり行けていないので、そういう日が来ることを期待したいなあと。それは、県内も含めてと思います。
 
(質)これは、またこれも衆院選どうこう関係なしの話ですけれど、生涯、三重県民であるおつもりはありますかという。
(答)生涯、三重県民。
(質)つまり、他の県で、結局は暮らしとったというわけじゃなくて、どんな身分になろうとも三重に根差すかどうかという。
(答)それはもう、もちろんそうなんじゃないですか。今も住居、昨日一昨日も、津市役所で転居届を出してきましたけど、伊勢市への。それはもう、骨を埋め、政治人生を懸けてということだと思います。それはもう間違いないですね。いまだに、いまだにというか、今も、兵庫じゃなくてよかったわっておっしゃる県民の方も時々いらっしゃるんですけども、全然そういうことを全く考えていませんので。そういう意味では。あとは、次のステージに立たせていただけたとしても、それはもう三重県をベースにしっかりやっていくというのが大前提。骨を埋めて、政治人生を懸けてということだと思います。
 
(質)他に質問のある方、いらっしゃいますか。よろしいですか。では、これで終わらせていただきます。ありがとうございました。
(答)県政記者クラブ、第二県政記者クラブの皆さん、本当にありがとうございました。

 了

本ページに関する問い合わせ先

三重県 戦略企画部 広聴広報課 報道班 〒514-8570 
津市広明町13番地(本庁3階)
電話番号:059-224-2028 
ファクス番号:059-224-2032 
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