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令和元年10月16日

2019(令和元)年度 人権教育推進管理職研修会を開催しました

2019(令和元)年度 人権教育推進管理職研修会 講演記録
「人権文化あふれる学校づくり ~若い先生とともに歩みともにつくる~」
  土田 光子さん (大阪教育大学)
 
 2019(令和元)年5月28日(火)、小中学校対象の人権教育推進管理職研修会を行いました。講師に、土田 光子(つちだ みつこ)さん(大阪教育大学)をお迎えし、「人権文化あふれる学校づくり ~若い先生とともに歩みともにつくる~」と題してご講演いただきました。ここでは、その一部を紹介します。
 
1.はじめに・・・ 「中堅世代のいない学校」への危機意識

右寄せ

 

 今日は、次世代育成の中核を担う管理職の先生方に、私自身が大阪の中学校で、首席教諭として取り組んできた時代のことを振り返りながら、若い先生とともに、どのようにして人権文化あふれる学校をつくっていくのかについてお話しさせていただきたいと思います。
 さて、三重も似たような状況になっていると聞いていますが、私が現職だった10年ほど前、大阪の教育現場には20代と50代しかいないという状況が始まっていました。そうした実態の中では、中学校の場合、新採の人が1年生、2年生、3年生と持ち上がれば、4年目は当然学年主任や教務主任、あるいは生徒指導主事を務めなければならなくなります。新規採用から6年経てば、もう指導主事試験、10年を超えたら管理職というような状況になるのです。現場経験が非常に浅く年齢もそれほどいっておらず、大半の保護者が年上だというような状況の中で、学校運営を担わなければならないわけです。
 そうした状況の中、私は、若い世代とベテラン世代の間を繋ぐ中堅世代がいないことに焦りを感じていました。中堅世代がいないということは、50代が定年退職になると、その後釜に座るのが全部若手ということになります。だからこそ50代が必死の思いで若手を育てようとしているのですが、その50代の方々は、自分の使っている言葉が若手に届いていないということを自覚できていないように感じます。
 私たちの若い頃は、年齢構成がバランスよく数珠繋ぎになっていました。大先輩がレクチャーしてくださっている内容にいちいち「すみません、今の言葉わかりません。ちょっと待ってください」とは言いにくいですけれども、会議中すぐ隣に座っている、ちょっと年上の先輩に「どういうことですか」というのは聞きやすいものです。私たちの若い頃は、ちょっと年上の先輩、つまり中堅世代がいました。私たちは、その中堅世代にベテランの言葉を私たちの理解出来る言葉に翻訳をしてもらっていましたが、今の学校は中堅世代がいなくなり、ベテランの言葉を若手に翻訳する機関を失っています。言ってみれば辞書を取り上げてドイツ語でレクチャーしている状態だということです。当たり前のように使ってきた専門用語が伝わらないのです。 
 例えば、4月1日の学年会議で、案件その1に書かれていた「学級開き」(*)という言葉が伝わっていなかったことがありました。会議で、私が「学級開きについてですが」と言うと、やる気のある若手が「先生、僕には力量はありませんが、体力とやる気だけはあります。『学級開き』くらいなら僕にもできます。僕に任せてください。朝早く来ますので、僕の机上に各学級の鍵を置いておいてください」と言うのです。「学級開き」を、教室の戸を開けることだと思っているんですね。この先生に決して悪気はありません。考えてみると、私は教員養成大学に在籍しておりますが、「学級開き」の講義などというのは確かにありません。にもかかわらず、現場に立ったらそんなことは知っているという前提で、「学級開き」とはこういうものですというレクチャーもないまま、「学級開き」をしなければならないのです。専門用語の意味が、話の前後関係から類推できる場合もありますが、間違って認識してしまう場合だってあります。
(*)年度初めに、学級担任が担任としての思いや願いを語る場面
 私は、こうした状況に非常に危機感を持っています。しかし、ベテラン世代の方の中には、わかりやすく噛み砕いた言葉で伝えていくことに積極的でない人が多くいます。その背景には「自分たちも、そんなことを丁寧に教えられて来なかった。失敗しながら、必要に迫られて、自分から学んできた」という経験からくる思いがあります。かく言う私も、そうでした。だから「えっ、こんなことも知らないの」という現実に何度もぶつかる度に、「私の若い頃は、もうちょっとしっかりしていたよ」というふうに短絡的に感じてしまっていました。しかし思い返してみると、私の若い頃は、教えられてはいないけれど、自然に学び取っていくことができるシステムが、学校の中にありました。
 ベテラン世代による「自分たちも教えてもらっていないけどできたのだから、それくらいできるだろう」という錯覚が、若手が学ぶ場を奪う最大の要因になります。時代が違うのだということを、私たちがどれだけ深く認識するのかが問われています。私たちが、自分の持っているものは全部バトンタッチしたと言える状況をつくり出さないといけません。そのために、私が最後に在籍していた学校では、非常に様々な取組をしてきました。それらを振り返っていきたいと思います。
 
2.具体的な取組
(1)前提 ~同僚性の育成~ 
 若手が学び、育つためには、同僚性(*)が必要です。同僚性を高めるためには、当事者の方々を前に申し上げにくいのですが、校長先生がしゃしゃり出ないことが大切です。学年主任、ミドルリーダーが非常に大事な役割になってきます。学年団で育ち合えるシステムを作り、校長先生は目立たないところで涼しい顔をしている、そんな学校づくりをする必要があります。校長先生がいちいち出ていくと、上からの命令でさせられていることになってしまい、結果的に先生方の力量が上がらないのです。
 力量のある校長先生は、特に気をつけてもらう必要があります。そのような先生は、自分が現職の頃の経験から、「俺にはできた。お前の努力が足りないんだ」という考え方をしがちです。しかし、今の現場には、一人のスーパースターはいりません。同僚性を高めて、チームとしての力量を上げていくという発想に切り替えない限り、新しい学校づくりは難しいと思います。私にも痛い経験があります。若い先生に仕事を振ったら、それが3倍に増えるので「もういい、もういい。私が全部する」とやっているうちに学校が傾いていったという経験です。そうした経験から、同僚性が大事だということを痛感してきました。
(*)同僚が互いに支え合い、成長し、高め合っていく関係
 
<同僚性育成のための留意点>
①研修を参加型に
 同僚性を保つために、様々な工夫をしました。その一つが、研修の持ち方です。今日のように一方的に私が喋るのをただ座って聞いているだけでは、なかなか記憶に残りません。ワークショップ等、参加体験型学習の手法を取り入れると効果的です。最近、喋るのが商売の教職員が手を挙げて発言できないという場面によく出会います。今の若い人は、間違うことを非常に怖がります。迂闊なことを言って、間違いを指摘されたら、あたかも教師人生の終わりかのように落ち込んでしまう人もいます。そのため、まずは少人数のグループの中で話し合う訓練をしていく必要があります。私の学校では、少人数で自分の素朴な疑問を出し合ったり、グループで話し合ったことを全体で発表したり、参加型の研修を多用してみたりしました。
 
②会議資料に「穴」をつくって育てる
 職員会議も変えました。そのためには、学校運営委員会が鍵でした。運営委員会のメンバーに策士になってもらうのです。本来、運営委員会が作成する原案はかっちりしたものでないと、恥ずかしくて出せません。しかし、若い人を育てるために、原案の内容を敢えて一つ、二つずらしたのです。いつもそういう工夫をしました。完璧な提案だったら、職員会議でも運営委員会のメンバーが何か言っているのを聞いているだけになります。「意見なんて言ってはいけない」と勝手に思い込んでいる若い人たちが「ここの部分の原案では、よくわからないんですけど」というようなことを言えるようにするための工夫です。凄いサービスですよね。会議は簡潔に終わらないといけないのですけれど、ちょっと時間をかけて意見交換することで、若い人たちも「原案にはどんなことを盛り込む必要があるのか」を学び取っていきます。
 
③実際の業務の中での学び合い
 共同で実務を行う中で学び取っていくということも大切にしました。このことがなぜ大切か、もう少しお話しします。例えばシャツを1枚作るとしますね。シャツ工房では、新任でもシャツを作らないといけない。新任に何が出来るかと言うと、例えばボタン付けです。ボタン付けは、失敗しても、外してやり直せばいいだけです。そのため、ボタン付けから始めて、力量が上がれば上がるほど、裁断など高度な技術が必要な作業を任されるようになっていくわけです。新任とはいえ実際に実務に参加することで、「僕もシャツを作る一翼を担っている」という感覚を得ることができます。そして、ボタン付けしかできなかった子が「次の工程はこれなのだな。そのもう一つ先は、これなのだな」と学び取りながら成長していくことができます。こうした共同参画をしながら物事を推し進めるシステムをつくることが、とても大事です。人権学習しかり、教科の授業しかり、学校行事をつくることしかりです。「黙って見ておけ。何もするな」ではなく、若い人でもできる仕事を振りながら、一緒にやって高度な自分のスキルを見せていく。口ではなくて、実際に見せていく。そういうことを非常に大事にしてきました。
 
④批判し合える関係づくり
 若い人は批判に非常に弱いです。これも小学校からの学校教育の責任だと思います。とにかく子どもを褒めて伸ばすという実践がはやっていますが、これがはやる理由は、一切子どもと対立しなくて済むからです。何でもいいから、無理してでも良いところを探して褒めていたら、先生と子どもがぶつかることはありません。親からクレームの電話もかかってきません。「日々是好日」「無事こそ全て」のような感じで、子どもをヨイショしているように思えてきます。私は、「いけないことは、いけない」と言わないと教育ではないと考えています。間違ったことは叱らないといけませんし、変えていかないといけないこともあるはずです。それらをすべて「いいよ、そのままで」と言ってしまうのはおかしいと思います。子どもたちに、褒めねばならないのだというノルマを掲げて、一日の終わりに「いいところさがし」の発表をさせるというのも聞きます。ネーミングからして、失礼極まりないと思います。まるで「探さないとないね、あなたのいいところ」と言っているようなものです。「何かないか、何かないか」と、無理して見つけ出して褒めてもらうことで、子どもの自尊感情が育つとは思えません。子どもを尊敬していないにも程があると思います。そんなことよりも、失敗から学ぶことや、傷ついた経験を乗り越えて力に変えることが非常に大事だと思います。若い人を腫れ物扱いするのではなくて、仲間として、運命共同体として、切磋琢磨し合うということこそが、相手を尊敬し尊重していく態度だと思うのです。これは、対子どもとでも言えることです。
 もう一つ、過剰な「子どもを傷つけてはならない」という風潮が気になっています。いじめが蔓延する中、いじめから子どもを守るのは当たり前のことであり、重要なことです。ただ、人間は傷つくものです。生きていくということは傷ついていくことなのに、「傷つけてはいけない」ということは、生きさせないと言っていることに等しいのです。若い先生の中にも、尊重し、丁寧に良いところを見つけて、褒めて褒めてということをされて育ってきた人がいます。そのような先生の中には、褒められず、認められもせず、「そこは違う」と指摘されると、「否定された」と感じてしまう人がいます。批判する力は非常に重要な力なのですが、批判されたら、否定されたと錯覚するのです。この文化を打ち破らないといけません。同僚性が高まると「それは違うだろう」と批判しても、傷つかなくなっていきます。
 
(2)若手育成のための様々な工夫
①学期末総括を学習会に変える
 うちの学校で一番変わったのは学期末の総括会議です。私のいた学校では、学年総括をしていました。そういえば、総括会議がない学校があると聞きましたが、来年の方針をどうやって立てるのでしょう。係からいくつか発言があるだけで、何一つ論議しない学校があるとも聞きました。これは、学校をダメにする一番の早道だと思います。
 うちの学校の総括は非常に丁寧です。会議に出す資料の作成に最もエネルギーを注ぎます。総括会議の資料というのは、各学期の実践報告です。学級担任なら学級経営の一学期間。国語の教科担任として取り組んだ一学期間。生徒指導をしているなら、生徒指導としての一学期間。担当ごとの総括を丁寧に書いてもらうために、振り返りの視点をかみ砕いて具体的に提示し、若手が書きやすいように工夫しました。
《レジュメより》
 一学期を振り返って  どうぞ自由にのびのびと、そして率直に正直に書いてみて下さい。
 Ⅰ集団づくり
 ①クラスはうまくいっていますか。すてきなドラマを自慢たらしく書いてください。
 ②迷ったり困ったりしていること、質問したいと思っていることを書いてください。
 ③集団づくりで、もっと身につけたいスキルや知りたい事柄はどんなことですか。
 ④気になる子どものことで、学年で共有しておきたいことや相談したいことは何ですか。
 ⑤2学期に向けて、これだけはやりきろうとか始めようと思っていることはありますか。
 Ⅱ人権学習
 ①自分なりに精一杯頑張った人権学習で、うまくいったと思った場面を教えてください。
 ②迷ったり困ったりしていること、その克服のためにしてほしいことや要求をどうぞ。
 ③今の人権学習の進め方について、自分なりの意見を率直に書いてください。
 Ⅲ生徒指導
 ①子どもと生徒指導の切り口で向き合った自分の、気づきやつまずきを率直にどうぞ。
 ②生徒指導面で、学年にしてほしい協力や支援を率直にどうぞ。
 ③これだけは一致して指導に当たりたいと思っていることを書いてみてください。
 Ⅳ学力保障
 ①授業は成立していますか。厳しい場合はどのような状況ですか。
 ②授業上の最大の課題は何ですか。
 ③授業力を高めるために必要なこと、学びたいこと、その方法など、こうだったらいいなあと思うことを
  自由に書いてみてください。
 Ⅴその他
 ・どんなことでも率直に。
 提示した振り返りの視点を読んでいただくと、かなりかみ砕いた表現になっているのがわかっていただけると思います。このシートで伝えようとしているのは、「困っていることを正直に書いていいのよ」「『助けて』と言えるのは『力』だよ」というメッセージです。後期の総括は、さらに具体的に、前期をふまえて取り組んだことがどうだったのかについて振り返る形にしました。
 学期末総括をこのような形にするきっかけには、ある出来事がありました。学年主任だった私が出張に出ていたときのことです。内容は忘れてしまいましたが、学年内で生徒指導事象が起こったのです。それを学級担任が、せめて学年の生徒指導主事に連絡していたら、生徒指導主事や管理職から何らかの指示があったはずです。しかし、学級担任は報告をしませんでした。出張が終わり、学校に電話をしました。直帰しても大丈夫か尋ねると、「戻って来てください」と言われました。「どうしたの?」と聞くと、担任が報告をしなかったために、学校から連絡する前に子どもの口から保護者に伝わって「どういうことだ!」と大騒ぎになっているとのことでした。もの凄く小さなことが、連絡ミスによって大きなことになってしまうということがよくあります。日頃から、「報・連・相」と、まるでポパイのように言っていたのに、連絡・報告ができていませんでした。保護者に理解していただいて、その日が終わるまでには問題は収束しました。その後、私が担任に「何で報告をしなかったの?」と一言尋ねると、その新任の女性がポロポロ泣き出したのです。ポロポロ泣き出して言われた言葉に、私は胸をえぐられるようでした。彼女は、「何が報告すべきことで何が報告すべきことでないか、それがわかりません」と言ったのです。この事件の犯人は私だったのです。どういうことかというと、私は、若い人に「報告することを徹底しましょう」と伝えていました。すると、彼女は「今日は誰々が欠席していて」と言いに来るのです。そんなことは出席簿を見たらわかるのですが、彼女は「誰々が欠席して、電話を入れたんですけれど、お母さんに『まだぐずっているんです』と言われました」とか「2時間目の授業が、こうで」と毎日報告するのです。しかも担任をしている新任は1人じゃありません。これでは対応し切れないと思った私は「報告することを選択しないと。そんなことまでいちいち報告しなくて良い」と言ってしまったのです。それから彼女は、どれを報告して、どれを報告しなくて良いのかわからず、何もできなくなってしまったということです。納得できない方もいるかもしれませんが、実際そうなのです。そのときの私は、彼女から見たら、もの凄く怖かったらしいです。「そんなことまで、いちいち言わなくても」って言ったときの私は、内心あきれ返っていたので、心の声がオーラとして出ていたのだと思います。彼女は、そこからピタッと報告ができなくなってしまったそうです。こんな状況は悔しいですよね。だから、何が報告すべき大事なことなのかを学び取っていけるように、総括会議を工夫していったのです。
 
②「放課後」の会の実施
 この総括会議に至るまでに、子どもを帰らせた後に各組の報告をし合う「放課後の会」を毎日行いました。この会でも、初めは、若い人は逐一報告しようとします。しかし、3年目の先輩の先生が、上手にコンパクトに報告をするのを聞いたりしながら具体的に学んでいきます。「こういうことを言うのか。しかもこんなにコンパクトにして」「こんなことを報告して、こんなことは言わなくていいのだな」というのを、毎日ちょっとずつ5分10分の時間を使って行う「放課後の会」で学んでいくのです。緊急のことがあったときは、昼休みに集まるというようなことも積み重ねていくと、毎日やらなくても、大事なことだけ言えるようになっていきました。基本的なことを丁寧にやらないと、そもそも「報・連・相」の「報」の段階で成立しないということです。基本的なことを学んでいなかったからこそ、報告するのかしないのか、もたもたしている間に、精神的に消耗していたのだということが見えてきました。そして、そのことがわかったら、見違えるくらい力がつくということもわかりました。
 「放課後の会」を始めて2週間か3週間経ったある日、3年目の先生が「今日はこんな嬉しいことがあったので、みんなで共有して欲しいです」と言いました。それまでは「今日はこんなトラブルがあった。あの子のことでこんなことがあった」ということだけが出し合われていました。教科担任制なので、この子は今日こんなことで傷ついているのだということを、全教科の担当が知ってないといけないからです。こうしたことを全員が共通理解している中、3年目の先生は「今日、こんな声をかけると、初めてユカリが心を開いたんです。すごく嬉しくて」といったことを言ったのです。聞いた新任は、「えっ、先生、ここでは良いことも言うんですか?」と驚いていました。報告しなければいけないのは、困った子の話だけだと勝手に矮小化していると、子ども観がどんどん狭められていってしまいます。「報・連・相」の本当の意味を理解し合うためには、「担任一人では、らちがあかないような困った事象のときだけ共有する」といった思い込みを一つ一つ打ち崩していくことが大切です。
 「放課後の会」は、学級で起こった事象を報告し合う場ですが、その報告には、子どもや学級をどう捉えているのかという教師の姿勢が表れます。実は、「放課後の会」の大きな目標は、自分たちの子ども観を鍛え合うことでした。この目標がないと、学級で起こした事象を出すことで周りからどう見られるか、管理職からチェックが入らないかなどが気になって、失敗や落ち度を言えなくなってしまいます。
 
③サロンと呼べる空間の創造

右寄せ

 

 本当に相談できる場にするためには、お菓子と飲み物も有効です。例えば新任が研修の帰りにみたらし団子を買って来たりして、それを食べながら「何も相談することがなかったら、ゆっくりお茶を飲んで帰って」といったリラックスした雰囲気づくりを大切にしました。もちろん、人によっては、「保育園のお迎えで早く帰らないといけない」といった事情もあります。一人ひとりの事情にも柔軟に対応しながら行いました。緩い縛りで和やかなサロンのような場づくりに努めることで、率直に相談し、実感として学んでいけるようになると思っています。
 
④人権学習の計画づくりを学び合いの場に
 人権学習を計画する際、うちの学年では、学年団全員で教材をつくることを大切にしていました。取り組むテーマは、部落問題、在日外国人の人権、障がい者の人権、進路、平和、男女共生、学力をあわせて、7つです。このテーマの中から、一人ひとりが取り組んでみたい項目を選んでいきます。初めは何もわからなくていいから、その問題を掘り下げてみたい人が、授業の2ヶ月くらい前に教材を学年会議で提案します。オリジナルはなかなか難しいので、本を持って来る人もいます。学年で提案された教材は、各学年の人権担当が集う場でも協議されます。そこでは、各学年から「今年度1年間こういう取組をして、7月はこれをやります、11月はこれです」みたいなことを出し合って、「これは学校の方針に合っていないのでは」などと全員で論議していきます。それをまた学年で論議して練り上げていくのです。1年生は全分野とも身近にある差別について、2年生は差別の原因を探るため歴史について学びます。3年生は進路に集約させて、差別撤廃に向けた活動に学び、自分たちの未来を切り拓く力につなげる学習をします。こうした学習の流れの中で、各テーマの教材を誰かが提案し、全員で論議するということを重ねました。
 それだけでなく、教材のイメージを共有するために、その授業を学年主任である私が中心になって、やって見せることもしました。学年の先生を生徒に見立てて模擬授業を行ったこともありました。その後、学年会議の場で、担当者が模擬授業を行うことになっていきました。たくさん資料を出して、言葉でしつこいぐらい丁寧に説明したつもりでも、伝わりません。でもそれを10分でもいいから、模擬授業をすると「そういう意味だったんですか」と腑に落ちていきます。具体的でないと、若い人には吸収できないのだということを、身にしみて実感しました。三重でも人権学習指導資料を出しておられましたけれども、あれを校長先生が自ら、生徒役の教員に向かってやって見せるくらいのサービスがないと活きたものにはなかなかならないと思います。
 また、私がファシリテーターになってワークショップも行いました。すると、「面白い。これだったら腑に落ちます」と言って、「自分たちがファシリテーターをやってみたい」という意欲が出てきます。みんな経験が浅くつたないのですが、全員がつたないというのはものすごい学校をつくれるパワーにもなります。みんなつたないから力を合わせるしかないと思うのです。最初は、建前ばかりで、がんじがらめで、「できないって言ったら笑われる、叱られる」と思い込んでいた人や、「何をしたらいいのかわからない」と泣いていた人が「わかりません。もう一回言ってください」とやかましいくらい声を出せるようになりました。そうすると学年の先生たちは生き生きしてきます。そして、授業中の子どもの顔が上がり始めます。残念ながら、若い先生たちの授業は、まだまだ目を覆いたくなるほど下手です。しかし、下手であっても、「これを伝えたい」という生き生きとした思いが伝わると、子どもは「この人、何を喋っているのだろう?」と推し測って教員の言うことを聞こうという気持ちになっていきます。上手になったら味わえないあの喜び、子どもとの一体感は、若いからこそ体験できるものです。
 
⑤授業研の変革
 それから授業研を変えました。それまでの授業研では、誰かが授業をしたら、下手だと思う授業でも「温かさが伝わりました」など、褒めまくって終わっていました。学び合うのだから、研究授業をきっかけに、みんなが自分の授業の悩みや、こういう工夫をしたらうまくいったということを交流できる場にしていく必要があります。そのために、例えばKJ法など、グループ討議を多く取り入れました。「意見は?」と言っても手を挙げないのに、順番に指名したら意見を言う人がいます。授業者は、凄く苦労したのです。そのことに対するエチケットとして、一言ずつでもみんなが返すのが当たり前だと思います。「黙っているのは失礼だ」という価値観を共有し、グループ討議などを行いながら、授業研では必ず意見を伝え合うという文化をつくるようにしました。
 
(3)「集団づくり」と学力保障
①「集団づくり」とは?
 「集団づくり」は誤解を生みやすい言葉です。どんな青春ドラマを見てきたのか知りませんけれど、「全体主義」と勘違いされている場合がよくあります。人権で言うと一番怖い実践です。「みんな仲良く」とか「明るく元気」になんて、「暗い子は入室禁止」「病弱な子は学校に来たらいけないのか」と思ってしまいます。みんなを好きになる義務なんかないし、嫌いなものは嫌いでいいのです。嫌いだからと言って、排除することがいけないのです。結果として、みんなを好きになったり、仲良くなったりするのはいいですが、「好きにならないといけない」「喧嘩をしてはいけない」「仲良くしないといけない」「団結をしないといけない」という価値観を押し付けることは、「全体主義」であって「集団づくり」とは真逆の取組です。一人ひとり違う個性を持った子どもが集まるのですから、うまくいくはずがないのです。多様性に富んでいる子どもたちが集まれば、必ずトラブルは起こるのです。生い立ちも成績も経済状態も学力もみんな違うのですから、対立や揉め事が起こって当然です。しかし、管理職によっては「先生、このクラスいつもいさかいが絶えないね、もうちょっと落ち着かせないと」と言ってしまう人がいます。問題が起こることを問題視するような、器が小さい先生が管理職になっている場合が、大阪の場合はよくあります。当然起こる対立やトラブルをどう克服したら良いのかということを、みんなで知恵を出し合い、考え合って実践していく問題解決学習こそが「集団づくり」です。
 何でこんな邪魔臭い取組をするかと言うと、社会に出ればたくさんの問題にぶつかるからです。先程から言う、褒めて傷つけないようにしているだけでは、自分の思い通りにならないことを克服し困難に立ち向かう力を育てられないまま、社会に放り出してしまうことになります。繰り返しますが、生きていくということは傷ついていくということです。傷ついた時に、潰れてしまわずにはね返していく力を育むことが、我々学校教育を担っている者の責任だと思います。だから、「集団づくり」の取組が必要なのです。今、放送されている朝ドラで、牛が生まれて数秒で立つシーンがありました。物を言わなくても牛は立ちます。でも、「オギャー」と生まれた子どもが、よちよち歩くのを見たことがありますか。寝返り一つできないし、首も座っていませんよね。私たち人間は他者の介在なくして生きていけない生命体でしょう。嫌いな人とでも、手を組まないといけないことだってあります。その人を好きにならなくてもいいけれども、嫌でも協力しないといけないということです。でも、「共生する」なんて言うと、若い先生には抽象的で理解できません。「豊かな妥協」などの方がわかりやすいかもしれません。この力を育むために「集団づくり」をするのです。
 
②修学旅行の取組
 沖縄の修学旅行の前、子どもたちが毎年のように「3日目に自由服を着たい」と言い出します。沖縄は亜熱帯だから制服は暑いし、かと言ってジャージはダサい、ということで、3日目の自由行動の時は私服を着たいのです。うちの学校には「制服命」と言う子もいるので、私服を強制するのではなく、自由服を要求してくるのです。日頃から、制服のスカートをミニスカートにしたり、腰パンでパンツを半分丸出しにしたりして、私たちから指導されている子どもたちです。「君らが自由服を着たいって何を言っているの。君らが本校の名前を背負って世間様に出て行くときぐらいビシッと制服を着なさい。普段が自由服のようなのに何が自由服か。絶対ダメ」と伝えます。私たちは、決して何もかもダメだというスタンスではなく、困難にぶつかったときに乗り越える力を身に付けるための進路学習の一環として、反対します。すると、まず彼らは、「制服着崩しゼロ運動」を展開します。さらに、交渉のテーブルについてもらうべく署名を集めて、校長交渉していくというのが、彼らの段取りです。このように、子どもたちによる問題解決学習が展開されていきます。
 ある年、子どもたちの中に、父親のDVから逃げるために、身寄りのない八尾に引っ越し、何一つない状態でうちの学校へ来ているという子がいました。彼女は「今年も自由服要求活動すんねんやろ。結局全員私服やろ。『普段着で』って言うけど、結局みんな新品買うてもらうのやろ?私なんて、お母さんが頭下げて借金せんと小遣いも捻出できへんのに、Tシャツの一枚、例え1,500円でも『新品買うて』なんて、口裂けてもよう言われやん。嫌やな」と言いました。その年は、自由服要求活動をしませんでした。たった一人の思いであっても、自由服にすることで、楽しいはずの修学旅行の自由行動の時間帯に惨めな思いをする仲間が一人でもいるのだったら、そこまでして私たちは絶対私服が着たいのだろうかと、その一人の気持ちを考えたのです。こういう価値観を育てていくことが重要です。
 
③「集団づくり」と学力保障を結びつける
 「集団づくり」と学力保障を有機的に結びつけるということも大切です。
 一生懸命考えて、班のメンバーをつくっても、6つの班が全部うまくいくということは、残念ながらなかなかありません。必ずどこか課題が重すぎて「動かないな」とか、反対に課題が見えなさすぎて「ドラマがないな」というようなことが、どうしてもあります。うまくいかなくなると、まずは班ノートが回らなくなります。先程も登場した3年目の先生は、そういう班に班競争を吹っかけました。「平均点比べ」みたいな競争を持ち込むことは差別です。そうではなく、彼は「伸びしろ合戦」をしたのです。例えば97点の子は、あと3点しか伸びしろがありませんが、3点の子は、97点分伸びしろがあります。期末の時、中間テストから何点伸ばせるのか、個々人が目標を設定し、少しでも向上するために班で知恵を出し合って、助け合い学習を活発にするという計画でした。やっぱり人間関係がうまくいっている班は、学力向上に結びついていきます。それは「わからない。困っている、助けて」「ここがどうしても納得できない」と言えるからです。ちなみに、助け合い学習で学力が伸びるのは教える側の子です。教えられた子が、普段教員に教えられてもわからない勉強を仲間に教えられてわかったとしたら、よっぽどその教員の教え方が悪いということになります。そんなことは、まずないと信じましょう。ただ、教えられる子たちは、まわりの子が粘り強く接することで、授業中に教室を飛び出さなくはなっていきます。「どうせできない」と諦めて寝ていた授業に、ちょっと起きて参加するようになります。授業中に鉛筆を握ったこともなかったのに、鉛筆を握るようになります。次第に生徒指導の事案も減り、結果的に点数が上がっていきます。このことから、「集団づくり」は、学力保障に見事にリンクするということがわかります。
 大先輩にあたる3年目の先生の取組を知って、新任の先生たちも本当の「集団づくり」に目覚めていきます。仲の良い学級をつくることではなく、本気で怒れる仲間になること、本当に心から許せないと感じたことをぶつけ合える仲間になることこそ「集団づくり」です。そんな取組の中で、「俺の勉強のこと、お前に何が関係あるのか?」という仲間からの問いかけに、「俺だけわかっても、一つも面白くない」と返す子が登場します。教える側の子が変えられていくのです。そして、教える側と教えられる側が対等な関係になっていきます。時には、仲間を支えていると思い込んでいた子が、支えられている自分に気づいていくこともあります。そうしたことに、新任の先生たちは気づいていきます。
 忘れてはいけないのは、「集団づくり」は決して到達点ではないということです。「俺だって人を支える力がある」「俺みたいな人間でも、切らずに支えてくれた人がいる」という実感を持って、傷つけられたり裏切られたりすることがあっても、それでもめげずに生きてみようという自立に向けた力を育むための準備段階なのです。そして、「集団づくり」は、「集団崩し」で結実していきます。「大丈夫、あとは一人で出来るから」と、一人ひとりが巣立つところまで到達しなければ自立にはつながりません。「生活を語れる関係になりました。何でも支え合える関係になりました」と言っても、「それが一体何なのだ?」ということです。課題はその次です。ここで培った力を持って巣立って行って、困ったら中学校へ帰って来るのではなくて、新しい地で、またこんな信頼できる人間関係をつくる力を獲得できるかどうかです。教科学習で培った学力も同様です。その学力を何のために使うのかが大事です。世のため、人のためとまでは言いませんが、他者と共生できる社会の実現のために、自分の知性を使えるかどうかが重要です。こうした価値観を、新任の先生たちが、自分の実践を通して、自らの言葉として、語れるようになっていくことが大切だと思います。
 
(4)若い教員が育つシステムづくり
①初任者への校内での支援体制
 最後に若い教員が育つシステムについて申し上げて、終わりたいと思います。
 校種や学校の規模にもよりますから、そのまますぐには使えないと思いますが、「うちの学校では、こういうことをした」という紹介です。今日のように県教委や市教委が主催する研修会で勉強してもらうのもとても大事ですが、現場の先生方は、なかなか研修会に参加できませんよね。新採の先生は新採研修があって、より大変です。そのため、校内で研修が行き届く工夫が大切になります。うちの学校は、週に1時間、新採の先生が、先輩の先生の授業を参観する時間を設けました。例えば、国語科の新採の先生が来たとします。その場合、私が月曜日の5時限目に3年5組の授業をするとしたら、新採の先生もその授業に入っています。毎週、示範授業として、私の授業を見学することを時間割に組み込みました。また、その新採の先生が行う授業には、指導教員に加えて、首席教諭である私、教務主任、教頭と校長の4人でケアしていました。教科が何であろうと、月に一回、指導教員プラス4役の誰かが必ず付いて、授業にアドバイスをしていました。2学期は、教科を変えます。例えば、国語の教師だったら、理科のベテランの先生の授業を見て「理科では、こんなふうにグループで実験をしているのか」ということがわかります。すると、「グループワークは、こうやって進めることもできるのだ」と、教科を越えた学びが得られます。3学期は新任どうしで教科研修を行います。同じ立場で言いやすいため率直な意見が出し合えますし、同僚性を高めることにもつながっていきます。教科研修はこのように進めました。
 
②定期テスト期間の研修の仕方
 それとは別に、定期テストの初日の午後に研修会を行っています。その研修会では、家庭訪問、学級通信の書き方、生徒指導のあり方というような具体的なことについて学びます。ここで大事なのは、参加するメンバーです。うちの学校の研修は、教職経験3年未満を対象としていました。これには、研修機会が少ない非常勤講師も入ります。若い先生だけでなく、ミドルリーダーにも育ってもらいたいので、教職経験10年ぐらいの人たちに、アドバイザーとして参加してもらうようにします。ベテランには、講師として力を貸してもらいます。「先生がいらっしゃらなかったら若い子の文化が育ちません」と言って、「学級通信の真髄とは」など、得意分野ごとに話してもらいます。ベテラン講師の話の後、例えば学級通信がテーマの場合、アドバイザーの中堅教員には、昨年度作った自信作ベスト3を提示してもらい、「僕がこの通信をベスト3に選んだのは、それまで、通信に一番無関心でいつも読まなかったAが、『先生、くしゃくしゃになってしまったから、もう一枚』って言った忘れられない通信だからだよ」などど、ドラマを語ってもらいます。それを聞いた若手は、「学級通信には、そんな力があるんだ」「子どもの思いが息づいていない通信は紙の無駄遣いだ」ということを感じ取っていきます。
 
(5)おわりに
 こうした研修のシステムをつくることで、学校文化がすっかり変わっていきました。変わることができた理由の一つは、若い先生が、わからないことを「わからない」と言うことが問題解決への近道であると実感してきたことです。このことによって、会議や研修などにおいて、若い先生が質問や意見を、率直に出せるようになっていきました。若い先生からの質問によって、大きな誤解も早期発見できるようになりました。若い先生の声を拾うことができるようになったことで、研修内容をもっとかゆいところに手が届く内容にしたり、反対にもっとレベルを上げたりするなど、一回一回の研修に魂がこもっていくようになりました。一番大きく変わったのは校長です。ニコニコ笑って、何も言わなくなりました。校長が、安心して任せられる状況になったということです。「俺が退屈しているくらいが、ちょうど良いバランスだ」とおっしゃっていました。
 新採の先生は、学級経営に夢中になり、その視野をどんどん広げていきます。学級王国をつくっても、進級したら一からやり直しだということに気づき、学年集団を育てないと意味がないということを学んでいきます。中学校は3つの学校が寄せ集まっているというくらい、学年によってカラーが違っていきます。それは子どもの実態が違うので一概に否定はできないのですが、学年をまたいで指導に行くことがある中で、学校全体で見ないといけないということも、2年ぐらい過ぎると学んでいきます。3年経つと、学校だけではなく、地域社会や保護者との連携も、視野に入れないといけません。学校全体をどういう文化で包んでいくのかという発想で学級経営を見るようになったとき、まったく視点が違ってきます。私たちは、これらのことを10年ずつぐらいで身に付けてきました。しかし、今の若手には、それを3年間で身に付けてもらわなければなりません。本当に、学校に20代しかいないという未来が見えているのです。だから今こそ我々が本気で若い人を育成することが必要です。そのためには、私たち教師集団が、それぞれの個性を認めつつ、弱者を切り捨てることなく、すべての人にスポットを当てながら、でもシビアに批判し合えるような集団になっていくことが重要です。教師集団が「集団づくり」のモデルにならなければなりません。
 私は昔は「絶対管理職なんかにはならない。生涯一教員で終わっていく」と思っていたのですが、退職する直前に「何で管理職にならへんかったのか」と思いました。ものすごくやりがいのある仕事です。校長先生自らが、生き生きと若い人を育てていただけたら、その姿勢そのものが、学校の人権文化をつくっていくという気がしてなりません。
 ご清聴ありがとうございました。
 
 

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